自然という視点から見つめる × やまなみ農場 佐藤 美菜さん



    福島県川俣町にある「やまなみ農場」で生まれ育った佐藤美菜さんは、中学1年生(13歳)の終わりに被災。21歳になった現在は、父親が避難している久米南町で自然農を勉強しながら、自給自足の生活を目指しています。


    大好きな自然に寄り添いながら、自給自足、自然農で暮らしたい。


    小杉 生まれ育った「やまなみ農場」は、どんな農場だったんですか。


    佐藤 畑を耕さず、草や虫を敵としない自然農を実践し、食べ物はすべて手作りの自給自足でした。この農法を学びたいという農業研修生を毎年1年単位で、全国から受け入れていました。


    小杉 避難は、いつから?


    佐藤 原発事故の後、3月13日には山形県に避難しました。味噌とお米と、農場に関わる人の名簿を持って。本当に必要なモノって案外少ないんだなと思いました。母は仕事で福島に戻り、震災当時は海外で自然農を教えていた父は帰国後、岡山県に土地を求めて移住しました。


    小杉 家族と別れて辛かったですね。


    佐藤 私は現実が受け入れられず、1年間、不登校になりました。でも、中3になって川俣町の元の中学に再び転校したら学校に通えるようになり、卒業できました。


    小杉 自然農をしようと思ったのは?


    佐藤 高校1年の夏ぐらいです。高校は、山形県内の全寮制高校に進学しました。震災前は、自分が自然農をするとは思っていませんでした。だけど原発事故を経験して、食べ物や水、空気、土の大切さを改めて実感したんです。また、中3の1年間に浴びた放射能が将来、自分の子どもや、次の子どもに影響するかもしれないという不安を解消するために、自分にできることは自分の体を作ることだと思いました。そこで行き着いたのが「やまなみ農場」の暮らしでした。


    小杉 原発事故ですべてを失い、改めて自然の大切さに気づけたと。


    佐藤 そうですね。人間が生きる上で一番大切なものだと思います。


    福島に帰ると安心するけれども、3・11の記憶は忘れられない。


    小杉 今、一番伝えたいことは?


    佐藤 3・11のことでいろんな思いを抱えている人、それを言えない人がいることを知ってほしいと思います。


    小杉 岡山での農業は、どうですか?


    佐藤 岡山の土は福島とタイプが違うから、父も最初は苦労したみたいです。高校卒業後は1年間、東京で生活したけど、東京に戻りたいとは思いません。その後、岡山の父の家に転がり込み、畑を勉強し、田んぼを手伝いながら、農地を買い、ヤギを飼い始め、料理のできる小屋を手作りしました。将来は親元からも自立し、自給自足の生活を土台に自分の道を歩いていきたいと思います。


    農場の近くに、木や竹を使って小屋を手作り。電気も水道もない。完全自給自足を目指す。

    やまなみ農場

    佐藤 美菜(さとう みな)

    1997年福島県川俣町生まれ。父母が営んでいた「福島やまなみ農場」で育つ。2011年3月、中学1年生で被災。福島第一原発事故後、放射能の影響を考えて、子どもだけで山形県に避難。1年後、川俣町の元の中学に戻り、高校は山形県内へ。現在は、岡山県久米南町で農場を営む父親のもとで自然農を学んでいる。


    やまなみ農場

    有機農業10年・自然農20年と、およそ30年かけて自然に寄り添う農業を展開してきた農場。かつては、東北地域および福島県における自然農の拠点で知られ、自然農を学ぶために、全国各地から研修生が訪れていた。