佐藤 美菜さん



    佐藤美菜さんが生まれ育った福島県川俣町の「やまなみ農場」は東北自然農の草分け的存在。桃源郷のように美しい農場で、全国から集う農業研修生を毎年数名、受け入れていました。ところが、東日本大震災の原発事故で農園は閉鎖を余儀なくされたのです。

     被災当時、中学一年生( 歳)だった佐藤美菜さんは、現在  歳。父親が避難した岡山県久米南町の小さな集落に、端材やレンガを使って自分の力で小屋を建て、黒ネコ一匹と暮らしています。

     小屋の周りは一面の畑。広さは約二反。大豆や大根、ゴーヤ、茄子、オクラ、人参、小松菜、白菜など四季折々の野菜を自然農で育て、収穫した大豆から味噌を作り、薪ストーブに薪をくべて煮炊きします。

    少し離れた場所にある田んぼは、前年二反耕して米が余ったから一反に減らしたそう。佐藤さんは野菜や米を売るものとして考えないので、栽培するのは「食べる量だけ」。飼っているヤギ(母ヤギ一頭・父ヤギ一頭・子ヤギ三頭)が草を食べるから、あまり草刈りしなくていいというのも驚きです。

     「電気は引いていません。文字を読む時は充電式ライトを使うけど、それ以外の電気製品はスマホぐらいなので、電気(ソーラー発電)と飲み水、お風呂は、ここから車で五分の父親の家に頼り、それ以外は自給自足。夜は暗いから自然と眠くなり、朝は七時頃、起き出す感じ。動きたい時は動くけど動きたくない時は動かない。いろんな場所に行って動き続ける週もあれば、『今週、何したんだろう?』って思う週もあって、それでも別に焦らない」と佐藤さん。


    自分の身体と食べ物はつながっている


    自然と生きる道を選んだ佐藤さんの発想は「自分で種をまき、育てて収穫した食物を食べる、それだけのこと」といたってシンプル。「耕さなくても種は芽を出すし、花を咲かせ、実もつけます。なぜ、ここに人参が?とびっくりするような場所から芽が出る、それが面白い。そのうち、種をまかずともこぼれ種が自然に芽を出し、収穫できる畑になればいいな」と笑いながら「人間の身体は食べた物からできるんです。それを意識して欲しい」と続けました。



    循環するアートのような場所

    自然と共生する道を選ぶ人がいることを知って欲しい


    スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんのことをどう思うか尋ねると「根っこの部分や感情的な思いは同じ。でも、伝え方はいろいろあるから、いろんな方法で伝えないと伝わらないんじゃないかな。私は、都市の生活が環境に悪いからという理由で、こういう暮らしをしている訳じゃない。植物とか、鳥とかって静かだから。自然は大声で主張しないけど、ちゃんと生きてる。私は、そういう自然と同じになりたい。私が自然を見て感じるようなことを、誰かが私を見て感じてくれたらいいなと穏やかに佐藤さんは言葉を紡いでくれました。



    自由な時間、仲間とのつながり、必要最低限の収入で今のような生活をしたい


    佐藤さんは年一回ぐらい、母親の暮らす福島県に行きます。米も野菜も販売しないので、津山市の障がい者施設で月に数日アルバイトをして年間数十万円程度、収入を得ます。余暇には、ギターを弾いたり、絵を描いたり、手紙を書いたり…。岡山市北区建部町のオーガニックカフェ「ののカフェ」で知り合った仲間と、囲炉裏を囲んで酒を飲み語り合うことは大きな愉しみだそう。

    「同じような考え方の人とコミュニティを作ることも考えたけど、今の自分にそんな力はないし、まだ人と距離を置いていたいと思う自分もいますと丁寧に言葉を選ぶ佐藤さん。長野県の知り合いを訪ねた時、「水が良い」と感じたから、 今は心が長野に向いているという佐藤さんは、長野ですぐに仕事を見つけられるよう介護職員初任者研修を受けたのだそう。

    次の目標に向かって静かに、着実に歩き始めて います。



    佐藤 美菜

    1997年福島県川俣町生まれ。父母が営んでいた「やまなみ農場」で育つ。2011年3月、中学1年生で被災。福島第一原発事故後、放射能の影響を考えて子どもだけで山形県に避難。1年後、川俣町の元の中学に戻り、高校は山形県内へ。卒業後、東京で1年間1人暮らしを経験。その後、岡山県久米南町に移住。